【生かされている】肺がん

こんにちは。
代表の工藤です。

なぜ私が起業しようと思ったのか?
なぜ私が体温に拘るのか?
なぜ私が生きるに拘るのか?

拘るということは一見、執着にも聞こえてしまうかもですがそうではなく深く深く思っていると捉えてもらえたらと思います。
今まで、生かされてきた中で気づいたこと感じたことを少しづつではありますが書き溜めていこうと思います。

私の父は幼少時代に両親を亡くし養子に出され、義母にそれはそれは冷たくされ育ったと父の姉(叔母)に聞かされました。
早くにその家を出たく中学を卒業と同時に住み込みでパン屋さんへ就職したそうです。そこから父の人生はパン職人一筋でした。

父、40歳になり夢膨らみ独立開業を決意し母と共にパン&ケーキ【ケルン】をオープンさせました。

パン職人の家庭に育った私は小さなころからパンが必ずいつもありいつでも食べられる状況、毎日パンばかり食べていたのでそれは大きくもなりますね。
当時はグルテンフリーや糖質等今みたいに騒がれていなかったので食べたいだけ食べていました。

だからなのか根拠はないですが慢性蕁麻疹が小さなころからあります。
4オピニオン位したんですが原因不明、なので今でも薬を飲まないとかゆくなり蕁麻疹が出てしまいます。
長女と次男にも遺伝してしましました。

幸せな日々を送っていたある日、病気知らず、病院知らずだった父が熱が下がらない為町医者へ母に説得され受診した当日に
即大きな病院を紹介され精密検査を受けてくださいと。

余命半年の末期の肺がんを宣告されました。
一瞬受け止めることができず、茫然としすこしして泣き叫んだ記憶が今も忘れません。

今だからわかるんですが母は私より受けたショックは大きかったと思います。
当時はそこまで気が回らなかった。

昨日までちょっと微熱が続いているだけで普通にパンをいつもと同じように作っていたので信じられませんでした。
そこから入院となりお店は当然休業に。

父のその時のやりきれない気持ち、今同じ経営者となり胸が痛む。
肺がんになった原因はたばこでしょう。とはっきり言われました。
当時父はたばこを1日3箱、50本くらい吸っていました。

そして私も、当時たばこを1日40本は吸っていました。
念のため
*写真は抱かれているのが私で抱いているのが母です。
*父と叔母